FC2ブログ

ヒトカラマニア

…ですが、今は体のメンテナンスの優先順位が高くなってしまい、あまりヒトカラに行けてません/(^o^)\

私の亡くなった父も、職を辞そうとして慰留されたことがあるそうです。
2016-07-09 23:50








画像はイメージです。









私の父は
高校を卒業後、
ある会社に勤めました。

5年間働き、
自分に向いていないと思い、
「辞めたい」と言ったそうです。

すると上司から
「あと1年働け。それでも気が変わっていなかったら辞めろ」
と言われたそうです。

父はその後、1年働き、その会社を辞めました。




私は
今年6月末で契約期間が終了するはずだった会社で
辞めると言って引き留められ
12月末まで契約更新となりました。

契約更新してから
「しまった。残りの人生のうち半年間を
 向いてない仕事に充ててしまった」
と後悔しました。




以前のブログにも書いたように
ストレスが原因で体調不良が起きているので
ストレスの元である今の仕事をやめれば解決します。

あるいは、
私が仕事に慣れて、
仕事がストレスでなくなれば解決します。

仕事自体は、私にとって理想の仕事です。
問題は、
業務内容の理解と記憶が出来ないことです。

丁寧に教えてもらっても理解できないことはあるし
理解できる人には
理解できない人がなぜ理解できないのか分からない
と西原理恵子さんも言っておられます。

私は
自分に向いていないところで勝負してしまっているのです。




時間をかけてお酒が飲めるようになったように
ただ毎日出勤していれば解決するのか。

たしかにこの2年4カ月で
わかるようになったこともあります。
少ないですが。




どんな選択も
100%悪い結果を招くわけではありません。

少なくとも今回私は
私を慰留する役を任された上司の顔を立てました。

そして
思いがけず半年、契約を伸ばしてしまったことが
別の素晴らしい仕事と出会う機会を
私に与えるかもしれません。




ともかく
2016年いっぱいは綱渡りをします。
途中で綱から落ちたら(また体調不良で働けなくなったら)
その時点で終了となって
次に行きます。

過去のブログを読むと
自分自身がブレブレなのが分かります。

2016年7月3日のブログでは
「次回この件での記事更新は奇跡が止まった時に」
と書いていますが
ブレブレなので書きましたwwww












私の父は歌の世界から引退しました。(笑)
2016-04-03 23:50






大木伸夫/涙の酒 【CD】

大木伸夫/涙の酒 【CD】
価格:2,228円(税込、送料別)


父の「持ち歌」のひとつ。









全国119名の読者の皆様こんばんは\(^o^)/




私はヒトカラマニアですが、
私の亡くなった父はヒトカラではなく
もっぱら
他人がいるカラオケスナックで歌っていました。




人々から「うまい」と言われていました。

父自身も、自信を持っていたようです。




父は
プロの歌手が年をとるなどして歌唱力が衰えたのをテレビで見ると
「下手になったら引退するべきだ」
と言っていました。

私はそれに対して
(昔からのファンの人は、その歌手をずっと見守っていたいのだから
ニーズがあるなら出てもいいのでは…?)
と思っていました。

それはそれとして。




父は自分にも厳しかったのです。
(私には厳しくなかった)

父は70歳前後の時、
「歌が下手になったので引退する」
と言いました。

そして、
実際に二度と、カラオケを歌いませんでしたw(°o°)w









父を尊敬していますが
私はずっとヒトカラを続けたいと思っています。

おばあさんになっても。












父は地デジ化に際し「テレビを観るのをやめる」と言っていました。
2015-12-12 23:50








画像はイメージです。









私の父は、2006年に、72歳で亡くなりました。




そのころ世間では
アナログ放送からデジタル放送への移行計画が発表されていて
アナログが停波したら
ブラウン管テレビだけでは視聴できなくなるという周知がなされていました。




デジタル放送を観る方法は2つ。
ブラウン管テレビにデジタル用チューナーをつけるか
デジタル対応のテレビに買い替えることです。




2004~2005年頃の発言だったと思いますが
「(地デジ化にあたり個人に費用負担が強制されるなら)もうテレビを観るのをやめる」
と父は言いました。




私は、4歳の時からテレビが家にある生活をしているので
テレビのない生活は想定外で
父の発言に驚きました。




しかし、
父が育ったのはテレビのない時代。

それどころか家の中に水道がなく
屋外の井戸で水を汲む時代。

テレビのない生活も「アリ」なのでしょうw(°o°)w




実際にアナログが停波したのは2011年7月24日でした。

父はその5年前、2006年7月に
26インチのブラウン管テレビ(当時としては小さいサイズではなかった)を残して亡くなりました。




父は、テレビのない生活に戻ることはありませんでした。

今の話に関係ないですが
東日本大震災後の日本を知らずに亡くなりました。









私も
一生ないと思っていた、
NHK衛星契約から地上契約への逆戻りを先日経験しましたが、
BSのない生活はできています。

でもやっぱり、テレビ全部のない生活は考えられません。












TBS育ち。
2015-06-01 19:37







2002年登場のこの子は、私にとっては新人(笑)










私は1965年3月生まれです。




私が物心ついた時から、
私が高校の途中くらいまで、
私の父はTBS東京放送の運転手でした。

TBSの社員ではなく
某ハイヤー会社から出向というか、派遣というか、されていました。

銀座にあった、そのハイヤー会社の営業所にまず出勤して
洗車したりして、
赤坂のTBSに行ったり、
ロケ先に出演者さんを運んだりしていました。

報道の世界は24時間営業なので
父の勤務先では何人もの運転手さんが交代で
24時間詰めていました。

父が家にいるのは3日に1日のペースで、
3日のうち2日はいませんでした。

私が高校1年の4月に母が亡くなったのですが
それまでは3日のうち2日は母子家庭(笑)
そのあとは3日のうち2日は一人暮らしでした(笑)




父は、
感じよく勤務するために
TBSの出演者(アナウンサーや記者、俳優、歌手の皆さんなど)の
顔と名前を一致させたいと思っていました。

したがって、
父が家にいる時は
うちのテレビはほどんど、TBS:6チャンネルが流れていました。




おもしろい話も聞きました。

ある記者さん(だったかアナウンサーさんだったか)は
夏にスタジオでニュースを読む時、
暑いので
上半身はスーツにネクタイだけれども
画面に映らない下半身はステテコだとか(笑)




『ザ・ベストテン』という
木曜夜9時放送の歌番組の
順位が決定するのは前の週の火曜日の夕方だとか。
(それから出演交渉をするので)

あ、TBSの『輝く!日本レコード大賞』という番組は
かつては12月31日の放送だったので
NHKの『紅白歌合戦』と両方に出演する歌手のかたがたを
帝国劇場からNHKホールへ送る仕事もしてました。




初期の『3年B組金八先生』の俳優さんたちの送り迎えもしていました。

当時は金曜日の夜8時といえば
日本テレビの『太陽にほえろ!』という刑事ドラマが高視聴率を取っていました。
TBSはもはや諦め気味で
「金曜8時の学園モノだから金八先生」という短絡的なネーミングで始めたところ
後にお化け番組となりました。




TBSラジオの周波数が950から954に変わった時のことも覚えています(・∀・)









今は、
TBSラジオの番組のうち、
『JUNK』はHBC北海道放送がネットしているので聴けますが
『日曜サンデー』はネットしていないので聴けません/(^o^)\











サッポロもいました(≧∇≦)
2013-09-28 22:13






ご報告!!




いま、
晩ごはんの「玄米ごはん(レトルト)」を湯せんするための
お湯が沸くのを待っているヒマに
さっきブログに書いた問題の筒の
フタ側の底を見てみたのです。




すると!!









20130928用・サッポロ





サッポロでした!!(笑)