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ヒトカラマニア

…ですが、今は体のメンテナンスの優先順位が高くなってしまい、あまりヒトカラに行けてません/(^o^)\

母が亡くなって35年です。
2016-04-18 23:50








母が晩年に好きだった花。









私の母は1939年に熊本県南部の村で生まれました(たぶん)。

太平洋戦争がおこる前ですね。

6歳で終戦。




小学校または中学校で体操部だったらしいです。
平均台でポーズを取っている写真が昔あったのですが
もう今はありません。

記憶の中にしか。




中学を卒業すると東京に出て
美容室に住み込みで働き、
美容師の資格を取りました。




25歳まで嫁き遅れていたので(!)
誰かの世話で父と見合いしました。

1964年、東京オリンピックの年に結婚しました。

最初は東京都杉並区の3畳一間(笑)

すぐに私が生まれたのでいったん父の実家(埼玉県)に住み
その後、東京都八王子市の1DKの借家で生活。

1971年に多摩ニュータウンの抽選に落ちて
埼玉県の新しい団地(3K)へ。

子どもは私一人。

1977年に私が小学校を卒業するまでは専業主婦でした。

こうしてみると住まいがだんだん広くなっているし
専業主婦だし
高度成長期って良い時代でしたね(・ω・)




母は手先が器用だったので
(鷹がとんびを生みました/(^o^)\)
専業主婦時代から編み物や籐工芸を習っていました。

私が中学に入ると
母は本格的に籐工芸を習って
やがて教室を開きました。

母の教室の看板は
中学で美術部(実態はグラフィックポスター部)だった私がレタリングしました。




教室がこれから軌道に乗るかという1981年
ある日突然、台所の床に横になったまま
母は起き上がれなくなりました。

今にして思うと
がんが背骨に転移していて激痛だったのだと想像します。

なんとか起き上がれるようになって地元のクリニックに行きましたが
病気は見抜かれず。

その後、1か月で10キロ、体重が減少。

某総合病院に行ったら即入院で
検査して
肝臓がんで余命3か月と言われました。

本人はその時、強い痛み止めでもうろうとしており
自分の病気を知らず、
余命宣告の8日後に亡くなりました。

母は42歳。私は16歳の時です。




4月18日は
なんとなくいつも
母が亡くなった時のことを思い出しつつ過ごします。











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