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ヒトカラマニア

…ですが、今は体のメンテナンスの優先順位が高くなってしまい、あまりヒトカラに行けてません/(^o^)\

小説『アンガージュマンの入口』第30回
2015-06-05 23:09

















小説『アンガージュマンの入口』(便宜上、第30回)









「…ふむ」
「いつも風邪をひいても、安田先生にお注射していただくと一発で治っちゃいますでしょ? なのに今回は、このあいだお注射していただいて、お薬も全部飲み終わったのにまだ治らなくて、それに貧血なんですもの。変だと思いませんか?」
 言いながら顔が赤らむ。敬語できっぱりとものを言うのは、いつもながら恥ずかしい。
 笑わないまま医師が答える。
「うむ。まあ風邪が治りにくいのは夏だから、それに貧血は食事のせいでしょう。まあ放射能はねえ……関係ないと思いますよ」
「そうですか…?」
 安田医師は自信を持ってそう言ってるのかどうなのか、表情にあらわれないから恐い。
 でもプロなんだから信用しなくちゃ。
 ……だけど、科学技術庁の人たちが放射能の来るタイミングを予測しそこなってから、なんとなくプロの人を信頼する気持ちが前より薄くなっちゃったな。
 こまったもんだ。
「腕をまくってください♡」
 若い看護婦さんが突然言った。注射の用意はすっかり整っていた。
 Tシャツの左の袖をちょっとめくり上げると、看護婦さんがにこにこしながら脱脂綿で拭いて、医師が深刻な顔でおもむろに注射した。
「はい♡ よく揉んでくださいね」
 看護婦さんが小さいバンソウコウを貼ってくれた。
「…まあ念のため、また貧血を起こすようなことがあったら来てください」
「はい。ありがとうございました」
 何か釈然としないけど。
 診察室を出ようとした時、看護婦さんが、
「お食事は数回に分けてもいいですからちゃんと取ってくださいね」
と言ったので、あたしも彼女に微笑み返した。



     8
 幸運なことに、2度めの貧血は起こさないまま、6月の第4木曜日がやってきた。
 シックスティーズの渋谷の日。
 あれから3日くらいは普通じゃない状態だったけど、そのあとだんだん元気になって、今はもう、ほとんど前と同じになった。
 ちょっと大げさに考え過ぎたのかなっていう気が、今はしてる。
 今までずっと健康で、貧血なんて初めての体験だったから、気が動転したのよね。
 この間に、20歳の誕生日を迎えた。
 20代最初のライブは、黒のスーツで決まり。Tシャツの生地で、オフタートルの袖なしシャツ、長めのタイトスカート。それに銀のわっかをつなげたファッション・ベルト。
 病気のおかげさまで少し細くなった腕が、見ものなのだよ。ふふ。
 すでに開場した広いライブハウスも、平日のせいかまだ満席になってない。
 今日はあたしが席をとった。お店のちょうど真ん中辺のテーブルだ。PAのすぐそば。
 開演までまだずいぶん時間がある。美紀ちゃんが来たらすぐわかるように、お店の入口のほうをチラチラ見ながら、新書を読んでるところ。サルトルの『ユダヤ人』。このあいだの杉山先生の講義以来、本屋さんでサルトルの本を探していて、初めてあたしにも読めそうな文章だと思わせた本だ。その証拠に、もうほとんど読み終わった。”アンガージュマン”という言葉も、ちょっとだけど出てる。
 あと1章だけ残して、入口のほうを見る。










つづく。










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