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ヒトカラマニア

…ですが、今は体のメンテナンスの優先順位が高くなってしまい、あまりヒトカラに行けてません/(^o^)\

球磨川の水が冷たいということを知っています。
2020-07-07 23:50






九州が大雨で大変なことになっています。

いいえ、九州だけでなく、もっと広範囲で大変なことになっています。




当該地域の皆様が
1日でも早く、ふだんの生活を取り戻されることをお祈りします。




私の母は
熊本県の相良村の出身です。

小学生時代は
夏休みに毎年、相良村の母の実家にロングステイしていました。

球磨川で泳ぎました。

夏でも冷たいのです。球磨川の水。

私は埼玉県で育ったので
海水浴の経験も乏しいですが
比較すると
夏の海の水は温かくて
球磨川の水は冷たいです。

そして、球磨川の水は、透明で美しいです。




相良村にはもう、知っている親戚はいません。

でも、その近くの地域に親戚が住んでいます。

今回、親戚が住んでいる地名と、
相良村を、
ツイッターで毎日検索しています。


いずれも大きな被害が出ているようです。




ツイッターで最初に大雨被害の情報を見つけたとき
親戚の無事をいちど確認しました。

その後も複数回、大雨や川の氾濫の情報がありますが
親戚にはあえて連絡していません。

もし停電していたら、
貴重なスマートフォンの電池を
私からのメールを読むことに使わせてしまったら申し訳ないから。




被害のあった自治体に支援できる窓口をツイッターでみつけたので
少額ですが寄付しました。




北海道にいる私は
あとは情報収集と、祈ることしかできません。









氾濫した川の映像をみると茶色いです。

平時の球磨川の水は透明で美しいのです。

九州の他の川のことについては
知らないので語ることができません。












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四色の三色丼。
2020-05-16 23:50








画像はイメージですが、この三色丼のピンク色の具はしょうがっぽいですね( ゚Д゚)









びっくりドンキーひばりヶ丘店の周りを通ると
なつかしい香りがするのです。

母が作ってくれた三色丼の香りが。




それで思い出していたら
三色丼が四色だったことに思い至りました。




鳥そぼろの茶色と
炒り卵の黄色と
桜でんぶのピンク色と
インゲンの緑色。




しかし、
色合いは三等分だった気がするのです。


うち三分の一が鳥そぼろ、
三分の一が炒り卵だったことは間違いないと思うのですが
残り三分の一は
桜でんぶだったような気もするし
インゲンだったような気もするのです。




インゲンが彩りとして
てっぺんにちょこんと乗っていたか、
というとそうでもない気がします。




結局、四色丼だったのかもしれない。。。

円グラフの33%がみっつ、みたいな三等分のイメージだったんだけど。。。




母はだいぶ前からこの世にいないし
母の料理を日常的に食べていた、私以外の人物つまり父も
すでにこの世にいないので、
三色丼だったのか四色丼だったのか
証言を取ることができませんwwww












もし母が今、生きていたら、自粛社会にどう対処したか。
2020-04-18 23:51








画像はイメージです。









全世界296名(昨日のアクセス数)の読者の皆様こんばんは\(^o^)/

手に職のない修羅笛の鍵です。




私の母は39年前の今日、肝臓がんで亡くなりました。42歳でした。

母は手先が器用な人でした。

結婚前の職業は美容師。

家事全般が得意で
料理も裁縫も上手だったし
掃除も行き届いていました。




一人っ子の私の年齢が2ケタになったころ(だと思うのですが)
籐工芸を習い始めて、
私が中2か中3だったとき、
独立して教室を開きました。




COVID-19の影響でおうちにいるべき今の情勢で
もし母が生きていて元気だったら
たぶん布マスクを縫ってメルカリで売っていたと思います。

ついでに籐工芸作品も売るかもwwww




布マスクを作ってメルカリで売るには
資格はいりませんが手先の器用さが必要です。




私にはそれがありません。




資格も器用さもない人は
オンラインでどうしたらやっていけるのか
活路を求めてYouTubeの動画を観たいと思います。

(というような状態のいち市民をも助けてくれる国家であればいいなと思っています)












のし餅をカットする、という作業が多くの家庭からなくなりました。
2020-01-04 23:50






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上のアフィリエイト写真でどれくらい伝わるかわかりませんが。




1965年(昭和40年)生まれの私が子どもの時は
切り餅は売られていませんでした(よね?)。

また、
餅つき機も一般家庭に普及していませんでした。

お餅を手に入れるには
一般的には
お米屋さんに注文していたと思います。

鏡餅と、のし餅を。




で、
年末に届けられた、のし餅を
家庭で包丁で切っていました。

のし餅を切る作業はとても力が要りました。

子どもの私には大変でした。

のし餅を小さな長方形に切る、
しかも美しく切る母を尊敬しました。




(しかも私の母はおせち料理もほぼ全部手作りのすごい人でした。
なので私のような不器用な娘が育ちました。
いやもしかしたら、私が16歳の時に母が死なずに長生きしていたら
母の料理テクニックは私に伝承された可能性もあります)




今は、切られたお餅がパックされて売られていて
本当に便利です。

しかも
お正月でなくても手に入ります。

北海道に住んでいるので
スーパーマーケットでお手軽に
北海道産のお米で作ったパック餅が手に入ります。

ありがたいことです。

1年中、食べます。












美容師は母のやりたい仕事だったのか。
2019-09-25 23:50









画像はイメージです。









私の母は、
中学を卒業すると、
熊本県の実家を出て
東京の美容院で住み込みで働きました。

美容師の資格を取りました。

15歳から25歳まで美容院で働き、
私の父と見合い結婚しました。

そしてすぐに私が生まれ、
母は専業主婦になりました。




母は手先が器用でした。

私の髪は母が切りました。

母は編み物教室や籐工芸教室に通って、メキメキ上達しました。




私の中学時代の終わり、もしくは高校時代の初めに
母は、小規模な籐工芸教室を開きました。


しかし私が高校1年だった2月に病に倒れ
私が高校2年だった4月に、母は亡くなりました。




もし病に倒れなかったら、もしくは病から回復していたら
母は籐工芸教室を続けて
教室を拡大したような気がします。




しかし美容師の資格を持っているのに
美容師の仕事を再開する雰囲気ではなかったです。




美容師は、
なりたくてなった職業ではないのかな。

中学を卒業して東京に出て就職するのに
選択肢は多くなかったのかもしれません。

『ひよっこ』の「みね子」も
就職する時、
トランジスタラジオをぜひ作りたい、
というわけではなく
失踪したお父さんを探すために
そして家計を支えるために
ともかく東京で住み込みで働きたい、
って感じだったですもんね。




母は少ない選択肢の中から
もしくは唯一の選択肢の中から
美容師の道を選ばざるを得なかったのかもしれません。
昭和29年に、15歳で。


想像の域を出ませんが。




母は美容院という置かれた場所に咲き
専業主婦という置かれた場所に咲き
籐工芸と出会って、そこでまた置かれた場所に咲いたのかもしれません。